時代が変わったと感じる 24時間テレビは誰のため?
今 ちょうどフィナーレを迎えてます。
100kmという若い男性には珍しい短い距離を難なく笑顔で走りきった兼近さんがいる。
昔懐かしい坂本さんや間寛平もいる。なんとも番組の時間にあわせたあっけないゴールだった。
待ちわびたり、はらはらすることもなかった。
加山さんも谷村さんもなんだか歌に力がこもってないように感じた。
全体的になんだか感動しないなぁと。
でもこれまでは感動の押し売りはいやだなぁとも感じてたのにそう思ってしまった。
少し前にトライアスロンの子供の時はぐっと胸にきてたのに、、、
もうマラソンというフィナーレが古いのかもしれない。
トライアスロンもいいし、前にイモトさんが頑張ってた登山もいい
頑張ってるのはもうマラソンだけではないはず。
もともとは愛は地球を救うだった。
ここでの募金による車が街を走りまわっていて、募金したことの結果が目に見えていた。
でも今は正直よくわからない。きっと昔のように貯金箱を武道館に持っていく人は少ないのだろう。
こう見てみると24時間テレビは24時間テレビという文化を守ろうとしている番組に見えてしまう。
タイムリーなテーマを決め、それの企画を考える。そして視聴率も。
愛は地球を救うなら 毎年障害者支援ばかりでなくてもいいのではないだろうか?
自然保護、特に地元の山や川を整備し守っている人はいっぱいいる。時にはそんなところにもスポットをあてても
いいのではないだろうか。あれだけの募金のppmでもあればと思ってる関係者をいっぱい知ってる。
SDGsではないが、人間だけを救う以外にも目標はいっぱいある。
これまで続いてきたからいっぱいしがらみがあり、保守的になっていて変わるのはすっごく難しいのかもしれない。
24時間テレビという番組を守りたいのならしょうがないが、
愛で地球を救いたいなら、時代にあわせてもっと視点をあげ、さらなるチャレンジをしてもいいのではないだろうか。
続けるなら 今回のようにもっとジリ貧で寂しい番組となり、消えていくだけだ。